鍼灸院には、肩こり、腰痛といった日常病のほか、アトピー、ガン、うつ、生理痛、逆子、不妊症、めまい、難病の方も訪れます。
その人たちにおこなう施術は全て違うのかというと実際のところ同じです。
ただし、どうやっても同じものにはなりません。
ちなみに同病異治、異病同治というものです。
鍼灸の定義は以下のようにまとめられています。
鍼灸とは、鍼施術は一定の方式により「鍼」を用いて体表より接触、穿刺し、機械的刺激を生体に及ぼし一定の生体反応を起こして、生体の示す変調を矯正し、また疾病治癒に寄与する方法であって、保健、疾病予防、治療に広く応用する施術である(定義)。 灸施術は一定の方式により「もぐさ」またはこれに類する物質を用いて、燃焼し体表より温熱的刺激を生体に及ぼし、一定の生体反応を起こして、生体の示す変調を矯正し、また疾病治癒に寄与する方法であって、保健、疾病予防、治療に広く応用する施術である(定義)。参考書籍 芹沢勝助(筑波大学名誉教授)「鍼灸の科学 理論篇」|医歯薬出版株式会社 1959年 |
そして、日本では鍼灸が大きく分けて3つ存在します。
それは「現代医学的アプローチ:鍼灸で症状をとる治療法」「経絡治療:患者の自然治癒力で治す」「中医鍼灸:論理性重視の治療」です。
現代医学的アプローチは、西洋医学と同じく生理学・解剖学に基づいておこなうため、局所の病態把握及び局所治療に有効、直後効果が得やすい、患部に刺鍼するので納得しやすい、治効理論に関する説明がしやすい、効果は血行改善と筋緊張緩和、病態把握にそれほど経験と技術がいらない、深部に刺鍼することが多い、内科系・不定愁訴・心身症及び代謝性疾患は不得意という特徴があります。
経絡治療は、自己完結型で治療者が納得する治療、診断治療に一定の型があるため多くの疾患に対応可能、診断に熟練がいる、直後効果が顕著でない、局所の打撲・捻挫等は不得意である、論理性及び理論面が未熟という特徴があります。
最後に中医鍼灸ですが、優れた論理性をもつが触診や患者反応を無視する、触診等の体表所見が欠落しており治療時も触れない、湯液処方の理論構成に鍼灸を当てはめたものである、科学的検証が乏しい、中国鍼の刺激が日本人に適応するか疑問であるという特徴があります。
このようにまとめてみると不思議だと思われるかもしれませんが、日本鍼灸というものは残念ながら明確なものがありません。
※個人的には打鍼が日本独自のものであり、世界に誇るものだと思っています。
その理由は明治新政府が西洋近代を目指したため、1874年以降は西洋医学が国の医学となり、1911年には鍼術灸術営業取締規則が発令、漢方医の根絶策が進められたからでした。
また1947年にはGHQから厚生省に対し、消毒設備と意識にかけ不衛生である、科学的根拠がない、鍼をしたり灸をするのは野蛮な行為であるということから「鍼灸をはじめ、あん摩、柔道整復等、医師以外の者の治療行為の禁止」の要望が出されました。
鍼灸医学は古代中国に誕生し、6世紀頃(飛鳥時代)に朝鮮半島から日本に伝えられて独自の発展がなされ、室町時代後期には鍼が盛んとなり、盲人に対する教育制度も確立されます。そして江戸末期には医師たちによる研究が本場中国でも高い評価を受けることになります。
このように現在まで約1500年にわたり中国医学を受容し続け、書物を通して中国医学を約1500年間学び続けており、18世紀には日本独自の医療体系が形成されていたのですが、明治初期から大正まで約30年間の断絶を経て、近代医学も援用した鍼灸が形成されて現在に復興しています。
以前、コロナ禍における日本の祭り文化継承について紹介されていたのですが、2年間お祭りをおこなわれないだけで文化の継承は途絶えてしまうとのことでした。
この事からもわかるように、断絶された30年により日本の伝統医学研究レベルは300年ほど後退したといわれており、清でも1822年から宮廷の太医院での鍼灸科が廃止されたことで約100年間の暗黒時代を迎え民国初期には壊滅状態になってしまったそうです。
日本における鍼灸の復活は1930年後半に古典をもとに生まれた経絡治療であり、中医鍼灸も中国成立された後の1951年に生まれたもので、西洋社会に鍼灸が伝わったのは17世紀にさかのぼり、実際に西洋で鍼灸が使用さるようになったのは18~19世紀初頭のことです。
そして西洋社会で鍼灸が再発見されたのは1970年頃からです。
日本において皆さんが受けている鍼灸は、中国4000年の歴史があるものでも、飛鳥時代から伝承されたものでもなく、「現代医学的アプローチ」「経絡治療」「中医鍼灸」のどれかであり、現代の日本でおこなわれている鍼灸の治療法は「現代医学的アプローチ×経絡治療」「経絡治療×中医鍼灸」といった「折衷的鍼灸」が日本鍼灸の現状です。
私が運よく教わった針術は、清の宮廷の太医院の伝統医学であり、台湾を日本が統治していた時代の日本鍼灸、蒋介石によって台湾へ渡った漢からの伝統医学の流れを汲みます。
これらの歴史からも分かるように、鍼灸が消毒設備と意識にかけ不衛生である、科学的根拠がない、鍼をしたり灸をするのは野蛮な行為という考えは誤りで、鍼灸は今から2000年以上前に古代中国で誕生し、紀元前2世紀頃に作られた文献もみられます。
また日本においても757年に宮内省典薬寮に鍼博士、鍼師、鍼生などを置き、鍼も医療の1つとみなされ、江戸時代には鍼治療は急速な発展を遂げ、徳川家光、徳川綱吉、徳川家斉の奥医師となる者も現れたことで社会的地位も向上しました。
現代では東大病院、東北大学病院、千葉大病院、慶応大医学部、日本医科大、自治医科大、東京慈恵大、東京女子大、北里大でもおこなわれており、アメリカ国立衛生研究所では年間約137億円の研究費を使って鍼灸の科学的根拠(効果が有効である)を発表しており、アメリカ軍でも実践されています。
歴史から考えても、宮廷や幕府でおこなわれていたわけですから失敗は許されません。
この時代に科学という言葉があったかは知りませんが、理論に合致している(合理的)、すべてに通じる(普遍性)、共通認識できる(客観性)、同じ条件で再現できる(再現性)という部分においては科学の条件を満たしていますが、これらは経験則から体系化されたものであり、科学的ではないということではないのです。
私たちがおこなう施術は折衷的鍼灸(長野式)であり、故・長野潔先生(1925年~2001年)が伝統鍼灸だけでなく先達の多くの書物を渉猟し、大分県立病院理学療法室勤務のときに西洋医学の理論・知見を研究、検証して30万人以上の患者の身体を通して創りあげた「即効性」「再現性」「多様性」に優れた東西両医学の融合を試みて体系化した治療法です。
その特徴は「人間の身体には本来、自然治癒力というものが備わっていると考え、これを阻害する5つの要因(免疫系処置・血管系処置・神経内分泌系処置・筋肉系処置・気系処置)を取り除くことで治癒へ導く」というもの。
弟子の松本岐子先生はアメリカ・ボストンで開業する傍ら、ハーバード大学医学部で教鞭をとり、欧・米・豪・アルゼンチンなど世界12か国でセミナーを実施しています。
では具体的にどのような考えのもと、どのような方法をとっているのか。
そのことについて次回は紹介したいと思います。